連載

授業ノートから 第7回

学生は学者より社会を見ている

上智大学特任教授
帝京大学客員教授
松本 美奈

 

十月七日の授業では、日本学術会議推薦の候補者六人を菅首相が任命しなかった問題を報じる読売新聞朝刊記事を教材にした。二面の右肩に「学術会議人事 推薦通りの任命義務否定」とゴシック太字の三段主見出しを据え、さらに「政府見解 『首相に一定の監督権』」のサブ見出しを添えて目立たせている。すぐに「重要な問題」と伝わる仕立てだ。

初報は十月一日、学生はすでに問題の発生を認識していると考えての教材採用だったが、大半は「何のことやら」。企業人にしても、同様だった。

この記事を選んだのは失敗だったか。でもやる、とすぐに思い返す。学術界と社会との関係を考えるのに格好の題材だからだ。双方の言い分をじっくり読むことで、「国民のために働く」と宣言した首相の仕事ぶりはもとより、学術界の現状の問題点もあぶり出せるかもしれない。

記事を読み、問いを深めるためにいつも授業で設定している「なりきる人」は、「新たに任命された学者」にした。学術会議の推薦者は一〇五人。推薦通り認められた九九人はなぜか今回、沈黙を守っている。その立場になったら、どう考えて問題解決を図るか――そんな説明をしていたら、学生の一人が呟いた。「この人たち、透明な存在ですね」。聞いて思わず、声をあげた。うまい! そうなんだよ。目立つ発言も行動もしていない。少なくとも新聞では見ていない。名簿は学術会議のホームページに出ているから、その論文や経歴を調べれば、おぼろげな像ぐらいはつかめるだろう。

一方で、学生には問題を巡るあれこれを調べる過程で、「フェイクニュースの見分け方」とその背景も学んでほしかった。学術会議の問題では、妙にフェイクニュースが目に付く。SNSだけでなく、マスメディアですらそう。例えば、民放のワイドショーでの解説委員の発言。「学術会議のメンバーになると自動的に日本学士院のメンバーになり、死ぬまで年金がもらえる」などと披瀝すると、ゲストたちが驚きと怒りを露わにしていた。

ちょっと調べれば、学術会議と学士院は全く別の組織だとわかる。会員定数は、学術会議は二一〇人、学士院会員一五〇人。学士院の任期は「終身」、死ぬまで会員だから、スライド式に上がるのはそもそも無理なのだ。あちこちにトラップがある。学生諸君、ネット検索でヒットした一番上にある情報に飛びつくな。必ず原典に当たれ。

もう一つ、学生に身につけてほしいものがあった。それは「ケンカの作法」だ。今回の報道を見ていると、与党政治家の学術会議に対する風当たりは概ねきつい。

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菅首相はインタビューでこう語った。「年間約一〇億円の国費で運営されているにもかかわらず、法律に基づく政府への勧告が二〇一〇年八月以来行われていない」(読売新聞十月九日付朝刊)。甘利明氏は、日経新聞のインタビューで「学術会議の会員の身分が特別職国家公務員である以上、公に奉仕するのが前提になる。全くの私人になりたかったら政府の補助から独立し、自力で運営すべきだ」と強調。続けて「学術会議は姿勢が一貫していない。日本の防衛技術研究に参加しない声明を出す一方、中国など海外の軍事技術につながる研究は制御していない」と欺瞞性を非難した。

甘利氏の記事の下には、大西隆・学術会議元会長のインタビューも掲載されていた。甘利氏の記事が一二一行、大きな横見出しも含む四本の見出し、インタビュー写真、表、注釈付きという豪華な飾り付けに比べ、大西氏の記事は四三行、顔写真だけで見出しも二本。「首相に拒否権はない」「学問の自由に反する」と訴えるが、もう徳俵に足、といった風情だ。売られたケンカを買うには、紙上で同等扱いをせざるをえないような、歴史的、具体的事実に基づく迫力ある物言いが必要だろう。

学術会議にとって、時期が悪かったのは確かだ。折しも東京大学で学長選挙が大紛糾、教員たちが次々に「不公正な選挙が行われている」と批判の声を発信する渦中の任命拒否だった。教員による意向投票の方法に問題があったようだ。そもそも国立大学学長は「学長選考会議」が選考し、文科大臣が任命することになっていて、意向投票の出番はない。それでも東大は元最高裁判事らによる検証チームで検証することにした。法などそっちのけのやり方が大学人の持ち味かもしれない、と世間がいぶかる事態が先行していたのだ。

それでなくても、新型コロナウイルス禍のなか、大学への不満は大きい。小中高校は学校を開いて生徒たちを受け入れているのに、大学は何だ。学費を返せ。額に汗して働く我々は仕事を失うかもしれない危機に直面しているのに、という学生の親たちの冷たい視線を大学の先生方は感じていないのだろうか。根底には、大学へのぬぐえない不信感がある。

あれこれ思いを馳せているうちに、「新たに任命された学者」になりきった学生が、絞り込んだ問いかけをグループごとに発表した。どんな学者像、打開策が出てくるのだろう。

 

<もう! はっきりしてよ!>

・政府の政策に対して、媚を売るべきか

・なぜ六人を除外したのか

・理由を説明させるために、私は何ができるか

これからどうしたものか困っている学者の姿が浮かぶ。この三つの質問に沿って、論文を書けるか、最低でもアクションプランは作れるかと尋ねたら、学生たちは下を向いてしまった。そうだよね。最初に「媚を売るべきか」などと腰の引けた質問を打ち出したら、士気が上がるわけがない。ケンカにならない。ケンカになっても、勝てない。

 

<今一度見直しを!おーねーがーいーしまぁぁぁす!!>

・「特別な機関」として機能していないのではないか

・学術会議の発言力は不十分ではないのか

・自分たちの政策議論をどうやったら活かせるか

ケンカは無理だが、学術会議の今までを振り返り、これからを考える謙虚さがある。発言力が不十分だとしたら、今後どうしたらいいか。誰が、何を、どんな媒体で発信するか。そこを考えたら学術会議と社会の距離がグッと縮まるはず、という建設的な内容と理解した。学術会議会長も含め、政府の会議に出ているメンバーは多い。そうした機会と場をなぜ活かせていないと思ったかと質問したら、学生たちはその事実を知らなかった。ちょいと、調査不足。

 

<学術会議は必要だ>

・なぜフェイクニュースが流れるのか

・学術会議の知名度を上げるにはどうするか

・国民に喜ばれる政策とは(夢・希望を与える)

こちらは、フェイクニュースが生まれる現状に着眼した。一〇億円もの税金が使われているのに、陳腐なフェイクが横行するのは、学術会議があまり知られず、信頼されていない証拠だ。信頼される組織にならなければいけない。国民の未来に役立つ政策の提言にはどうしたらいいか、という内容だ。言葉は幼くとも、夢がある。「学者でござい」とふんぞりかえっていては誰も信頼してくれないことを、学生たちは知っている。

『彼ら(大衆)の最大の関心事は自分の安楽な生活でありながら、その実、その安楽な生活の根拠には連帯責任を感じていないのである。彼らは、文明の利点の中に、非常な努力と細心の注意をもってして初めて維持しうる奇跡的な発明と構築とを見てとらないのだから、自分たちの役割は、それらを、あたかも生得的な権利ででもあるかのごとく、断固として要求することにのみあると信じるのである』

オルテガ・イ・ガセットの「大衆の反逆」(ちくま学芸文庫、八二頁)から引用した。学術の蓄積なくして、現代社会は成り立たない。だが日常的には、そんなことに誰も配慮しないとオルテガは一九三〇年に喝破していた。学生ですら、報道の断片からこれだけ思いつく。超一流の学者なら、はるかに高邁な戦略を立てて、社会との関係の再構築に取り組んでくれるはずだ。

 

ばさばさと秋耕の手の乾きけり 飯田蛇笏

 

新聞記事をスクラップするたびに、手を洗う。コロナが気になり、また手を洗う。乾いた手で首ねっこを抑えたら、学生も私も痛い。しっかり保湿して、来週も学生と取っ組み合いをしよう。

 

この記事は「文部科学 教育通信 No.496 2020年11月23日号」に掲載しております。

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