連載

授業ノートから 第3回

米国のデモを「自分事」にする

上智大学特任教授
帝京大学客員教授
松本 美奈

 

 「平和的に訴える方法はないか」

6月の「質問力を磨く」の授業では、3週間続けて、警察官の黒人殺害を巡る米国のデモを扱った。新聞紙上は連日、米国内での動きや欧州への広がり、それにまつわるトランプ氏の発言、大統領選挙への影響、新型コロナウイルスの感染拡大との関係など、さまざまな関連記事でにぎわっている。教材には事欠かない。

それにしても、3週間連続で同じ問題に焦点を当てたのは異例。教材の豊富さに加え、人権にかかわる大問題なのに、学生の関心が薄いように見えたからだ。授業では毎回、みんなで新聞を広げるところから始まる。コロナ対応で各自のパソコン画面上ではあるものの、「2分間で目を通して」と指示を出し、黙ってページをめくってもらう。目を通して気になった記事を尋ねるのだが、国内の話題ものが多く、授業で扱う前には、デモ関連の記事は上がってこなかったのだ。

少し脱線すると、たとえ限られた授業時間ではあっても、一緒に新聞をめくることを大切にしている。自宅のポストに新聞が届けられても、なかなか取りに行かない、開かない。実際、リアルな教室では、新聞に挟まれたままだったチラシを床にばらまく学生も目立っていた。オンライン授業の今も、通学時間は節約できているのに、やはり読んでいなかったりする。それでも、開く回数を重ねているうちに、じわじわと「見ている」学生の数は増えてくるから、やめられない。

読むうえでの原則もある。まずは自分の立場で読み、次に自分以外の誰かになりきって、その視点から疑問を洗い直すということだ。

米国デモに焦点を当てた授業に戻ると、「日本の大学に通う自分」の立場で読んでいた段階では、制度の内容、歴史、言葉の意味など基礎的な質問が頻出した。「なぜデモなのか」「平和的に訴える方法はないか」、大統領選に関してであれば「どうやって選ばれるのか」といった調子。あくまでも「対岸の火事」、遠い第三者として記事に目を通しているのだ。

あれやこれやの学生の質問を聞きながら、パソコン画面の前でほくそ笑んでいた。こうでなくちゃ。今からが「質問を磨く」の真骨頂、自分自身の変化に驚けよ、と。そして笑いを抑え、おもむろに学生に示したのが、「デモで店を破壊された白人女性の立場」で読むことだった。ここで学生の反応はガラリと変わってきた。

「私がどんな悪いことをしたというの」「なぜ私の店が襲撃の対象に選ばれたのか」「この店の補償は誰がしてくれる」「今後、どうやって生活したら」

学生たちは、女性の内面の憤りや不安を意識した質問を、次々と画面上のホワイトボードに書き出していく。「自分以外の誰かの立場」で読むことによって、他人事が自分事になる、当事者の目線になった瞬間だ。すかさずそこで、新たな状況を加える。「襲撃後、近所の黒人男性が店を一晩中守ってくれた」。質問内容は、どう変わるだろうか。

一瞬、学生はキョトンとする。振り上げた拳のやり場に困っているようでもある。ネタもとは、NHKのニュース。アナウンサーのインタビューに対し、被害の白人女性が語っていた。この設定で、質問のトーンと矛先が、また変わった。

全てのチームで出た質問が「なぜ彼(黒人男性)は私を守ってくれたのか」だった。続いて「黒人に対し私たちは何をしてきたか」。次第に、白人社会のありようや歴史に触れる質問が出てくる。本当に怒りの対象にすべきはどこなのかに思いを馳せるようになって初めて、「では、共に生きるにはどうしたらいいのか」と本質的な問いが生まれるのだ。

学生の考える質問はまだまだ底が浅い。だが、立場や状況で見える景色が全く違ってくることを学生自身が知り、驚き、考えを深めていくことは、大きな収穫だろう。やり取りがあった日、授業の最後に提出する「リフレクションシート」で、どの学生もそこに言及していた。

「立場によって、質問の内容の濃さ、具体性、問題の捉え方の違いに気づかされた」(1年生女子)

画像

気づけば確実に次の思考が始まるのは、うれしい。反面、気づきを促されなければ「対岸の火事」ですませてきただろう感覚が、実はわからない。もしかしたら、差別に対する意識が全体に弱まっているのか。いや単に、差別を体験せずに過ごせてきた学生がたまたま居合わせたからだろうか。社会は理不尽に満ちている。人種間差別だけでなく、性や年齢、職業、出身地でも苦い思いを強いられることはあるし、いずれ就職活動をする際には、いまだに大学名で不当な扱いを受けるかもしれない。現実に問題に直面するまでは、その程度の感覚でもやむなし、とみなすべきなのだろうか。

ひとつ、「デモ」という意思表示方法に違和感があるのかもしれないとは思う。昨年の授業で取り上げた香港の民主化運動の記事でも、学生の反応は一様に鈍かった。「デモに参加する香港の大学生」の立場を設定したが、「一国二制度とは何だろう」「就職に不利ではないか」「退学にならないか」「家族に迷惑がかからないか」といった平板、卑近な質問が目についた。

堅実な将来設計と、家族への配慮。穏やかなほめるべき態度とは認めつつ、何やら気の毒になったのを覚えている。かつて日本でも、社会を変えようと学生が先頭に立ち、拳を振り上げた時代があった。実際に体験したわけでもなく、ときに暴力に傾いた歴史をよしとするつもりはない。だが、それぞれが社会変革の主役になる資格を持っており、とりわけその純粋なエネルギーの発露が若者の特権だと知らずに育ってきたとしたら……。

社会の問題を自分事として捉えるために、学生はチームで特定の人物プロフィールを設定する。話し合いを重ね、自分がなりきる人物の詳細を書いたリスト=「なりきリスト」なるものをつくるのだ。前述の白人女性なら、名前はキャサリン、42歳、蟹座で血液型はO型、白人の夫と中学生の娘と息子がいる。家族関係は極めて良好。姉御肌でハキハキと発言する、高校ではラクロスをしていた……。

ところが、記事を読み込む段になると、せっかくのアイデアが作動しない。たとえばデモを機に巻き起こった警察改革の記事を「白人女性」の立場で読み、質問を作っても、「私は本当に黒人への差別意識を持っていなかったか」「無意識の差別意識の裏にあるものは何か」「守ってくれた黒人男性は、白人である私への人種差別の気持ちはないか」。肝心の警察改革を、なりきりのキャラクターがスルーしてしまうのだ。

どうしてか。米大統領選挙をにらみ、民主党候補のジョー・バイデン前副大統領が「私は警察予算の削減には賛成しない」と発言していた。その記事への質問では何と、「なぜバイデン氏は、警察改革に反対なのか」と書かれていた。「前大統領」と誤称する学生もいる。目の前の記事を読み切れていないから分析し切れず、どれほど「なりきリスト」を充実させようと、質問はなまくら刀。容易に切り込めない。

学生たちは、文字は大好きだ。中毒と言ってもいいぐらい。仲間との連絡、交流はLINEに書き込み、読む。わからないことがあれば、文字で書いて検索する。先ほど触れたリフレクションシートは、A4サイズ一枚。9割は埋めるように伝えると、大半の学生は30分足らずで提出できる。巧拙はともかく、書けるのだ。書けるのに読めないということが、あるのだろうか。

 

部屋ごとにしづけさありて梅雨きざす 能村登四郎

 

今や自宅が教室。湿気はあっても静けさはない。パソコンをつけ、何はともあれ、きょうも学生の質問に耳を傾けよう。きっといつか、諸々の答えが浮かぶ日は来るだろう。

 

この記事は「文部科学 教育通信 No.488 2020年7月27日号」に掲載しております。

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