連載

異見交論 第4回

東京大学教授 酒井邦嘉氏
それでも「書く力」が重要だ

大学とは何か。どんな価値を持ち、進むべき道はどこにあるのか。
大学人や政治家、官僚、財界人らに大学への本音を聞く。

文・松本 美奈 ジャーナリスト、一般社団法人Qラボ代表理事

大学入学共通テストに導入予定だった国語、数学の記述式と英語の民間試験活用の見送りが決まった。それは、「書く力」の低下への危機感に発した高大接続改革そのものの見直しを意味する。そうした動きの中にあって、「それでも書く力の育成は重要だ」と強調するのは、言語と脳のメカニズム研究の第一人者、酒井邦嘉・東京大学教授だ。「人間の能力が危機的状況にある」とも。実際に教鞭をとる立場の発言は、学生のどのような現状を踏まえているのか。

AIに記述式の採点はできない

――記述式導入が見送られた。「人間の採点者では公平性に疑問が残る、AIを導入すればいいのでは」という声も聞かれるが、可能なのだろうか。

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酒井 いや、近未来にはAIが採点してくれるかもしれないという幻想、というより妄想を断ち切らないと、議論は始まらない。AIは文字ベースで解析しているだけで、書いた人の思考や意図を汲み取れない。それで採点するなんて言語道断だ。一定のキーワードが入っていれば比較的成績が高い生徒と相関性が高いという程度はわかるから、そこから上位成績者を弾き出すだろう。すると塾では、AIをだますテクニックを教えることになる。文章になっていなくてもいいから、このキーワードを入れれば点数が高くなる、と。
――文章の意味を理解するとは、それほど難しいことなのか。

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酒井 なぜこの人はこう書いているのか、その意図がわからないと文章の意味は理解できない。僕らはこういうふうに伝えたいと考えて、言葉を発し、文字にする。その過程で、情報がどんどん削ぎ落とされていく。言いたいことの何%程度しか、言葉にしていないのだ。わずかな文字から意図を再構成できる、人間と同じような脳を持っていない限り、不可能だ。
――自動翻訳も出ている。AIは「人の言葉がわかる」のではないのか。
酒井 いやいや。たとえば「みにくいあひるのこ」という言葉をGoogle翻訳するとわかる(図1)。そもそも意味がわかっていないから、正しい翻訳が出てこない。たった三つの単語でできた直列的な文字表現からですら、発話意図を再構成できない。もしこれが音声表現ならば、単語の間にわずかな間を置くことで区別ができる(図2)。だが文字ではできない。文字から再構成するのがいかに大変かがわかるはずだ。たった三語でもこう。文章が長くなったら、ほぼ不可能だ。

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――逆に言えば、私たちはそれほど高度な言語処理を日常的に行っているということか。今回の高大接続改革は、言葉を理解し書いて伝える力が落ちている、という危機意識に立った改革だった。
酒井 今の問題は、「書く力」だけではなく、他人の言っていることがわからないことが根底にある。つまり人間の能力が危機的な状況にあるということだ。英語四技能導入で失敗したのも根は同じで、人間に何ができるかを見ようとしなかった点にある。最も大事なのは、入力と出力の両方をつなぐ「普遍文法」(図3)だ。チョムスキー注1の考えでは「言葉の秩序そのもの」で、「言語能力」と呼ぶべきものでもある。文章を作ることのできるエンジンのようなものだ。文の基本構造は木構造(図2)だ。普遍文法に基づいて、この木構造を作れる。
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酒井邦嘉(さかい・くによし)
1964年、東京生まれ。東京大学大学院理学系研究科博士課程修了。マサチューセッツ工科大学客員研究員を経て現職。著書に「言語の脳科学」「科学者という仕事」「チョムスキーと言語脳科学」ほか。
リーディングやリスニングのテストは入力段階の理解度を測っている。ライティングとスピーキングは出力を測っている。学校では英作文・読解・スピーキング・リスニングと四つの科目を作っているようだが、問題がある。四技能という端っこ(入力と出力)を見ているにすぎない。重要なのは、入って来る情報を瞬時に理解し、自分の考えとして構造化し出力する普遍文法なのだ。
――測れるところだけを測っているに過ぎない、ということか。
酒井 リスニングとスピーキングをうまくつなぐと、普遍文法のありようが明らかになる。そこが機能していないと、単語を並べるだけになってしまう。
ただ普遍文法とは、誰もが生まれつき持っていて、教えることができないものだ。学習の大部分が「再生する」か「再創造」しかないことは、すでにチョムスキーが明らかにしているが、肝心なのは、言語の背景には心があるということ。意図がある。思いと言ってもいい。その中核に普遍文法があり、新しいものを創造する。「書く力」とは、「人間にとって言語とは何か」という核心にふれることなのだ。

「ゆとり」評価のツケ

――先ほど、「話す」から「書く」への過程で情報がどんどん削ぎ落とされると話していた。「書く力」が落ちているということは、人と人とのコミュニケーションが難しくなっているということか。
酒井 そうだ。話す力を圧縮したのが、書く力だ。「書く力」が身につけば「話す力」が育つ。逆に「書く力」を身につけるには、「話す力」を身につけなければならない。読み手を想定する想像力が必要だからだ。話すときには、瞬時に処理しなければいけない。言葉で表現するには、「書く力」が意味を持つ。それはじっくり時間をかけて推敲することで育つ。だが、その「書く力」が惨憺たる状態だ。時間があっても「書く力」を身につけられない学生や院生が多い。「これは意味不明だから、推敲してきて」と言っても、「スイコウって何ですか」と返してくるぐらいだ。そのぐらいひどい。
――東大生でもそうか。
酒井 そうだ。何を推敲したらいいのかわからない。「この部分の話が飛び過ぎている」などと具体的に指摘し、相手に伝わるように直すのが推敲なのだと噛んで含めるように言っても、改善しない。「どうして、みんなわからないのですか」と返してくる。
――他人がわからないことを理解できないわけか。自分はわかっているから。

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酒井 そう、SNSなどで自分の文章を垂れ流しの状態にし、自分が書けばみんなわかると勘違いしているから。「いいね!」の弊害は大きい。書くことがいかに難しいことなのかを味わっていない。
剽窃もその延長上で起きている。自分で書くことの難しさを知っていれば、相手の著作に対しても敬意を払える。賢い子どもほど、うまくやればばれないと実感しているのかもしれない。ある時、なかなかいいこと書いてあるリポートだな、と感心しながら読んでいた。あれ、どこかで見たことがあると思ってよくよく見たら、僕が昔書いた文章だった。引用ではなく、地の文で書かれていた。他人のリポートを見て、そのまま書き写した学生もいる。それはカンニングと同じなんだと厳しく伝えたが。
――SNSという環境だけが問題なのだろうか。
酒井 ゆとり世代になってからの落差が大きい。いま、その世代のど真ん中だ。詰め込みからゆとりにしただけでなく、評価法を変えたのも問題だった。「興味関心」で成績をつけるようになったことが大きい。表面的に興味関心を示せば、よい成績がとれることを生徒は理解した。賢い生徒ほど、脳を使わず、表面だけで勝ち抜けることを体得している。だから、何も考えない学生をたくさん見ることになった。「この文章では他人は理解できない」と指摘されたこともない時点で、教育は崩壊している。興味関心なんて表面だから。理解し、表現する力を問うような評価をしてこなかったツケがきている。
――ろくに添削を受けていないことも、「書く力」の衰えを助長しているかもしれない。東京都内では国語の先生一人に三学年を担当させる中学校もある。課題図書を出しても、三学年分の読書感想文を添削することは難しいのに。
酒井 ああ……。子どもだけの責任ではなく、教え方にも問題がある。さらに、相手の顔を見て話す機会が少なくなっていることも問題だ。SNSなら相手の顔は見えないから、そこを気にする発想も生まれない。友達同士や親子でも顔を見て話さないから、わかっていないなと想像する機会もない。やり取りをしながら、こういうふうに表現すると伝わるな、と考えることが「書く力」に反映される。
――「書く力」は何で構成されているのか。
酒井 書くにしても、話すにしても、入力と出力をつなぐのが「普遍文法」だ。それは英語でも日本語でも同じだ。相手が何を言おうとしているのか、そこに英語も日本語もない。
――そうなると、たくさんの語彙の入力が大切なのだろうか。
酒井 違う。簡単な単語でいいから、木構造でつながないと意味をなさない。語彙だけ増やせば入力したと錯覚している。英語力を語彙力と同一視してしまうようだ。日本人は名詞を探そうとする。英語圏では、常に説明が求められる。名詞ではなくて動詞を中心に文を作らないと伝わらない。日本語もそう。母語に頼ると、どんどん書く力が落ちる。日本語の「書く力」をつけるためには、英語を学ぶことが重要だ。「書く力」は、情報が足りない文字を直列的に並べて相手にわかってもらうという行為だから、よりシビアだ。
――入力から出力までを支える根底には、相手がどんな人で、どんな言葉なら通じるかということへの理解がないと難しいのではないか。
酒井 それが、心の部分だ。他者理解でもある。人間は本来、相手が何かを考えているのではないかというモデルを自分の脳の中に作って会話をしている。作家なら、読者はこう読むかもしれないと想定しないと書けない。SNSでただ書き殴っているのは、他人が自分の書いたものをどう読むかは想定していないということ。だから、言葉がどんどん過激になり、汚くなり、炎上が起きる。

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言葉を費やさないと他者にわかってもらえないという経験、伝わらなかったというネガティブな経験は、人を強くする。そういう意味で、外国語を学ぶという経験は大事なのだ。
――外国語、中でも英語の学習量からいえば、東大の学生は多いのではないか。なぜ「推敲」がわからない学生になってしまうのだろう。伝わらない経験をしていないのだろうか。
酒井 受動的な教育しか受けていないからではないか。面と向かって議論するという経験はほとんどないだろう。だから海外の大学生と議論をすると、喋れないうちに終わってしまう。議論にならない。
――いま小中高で問題になっているのは、読解力だ。とにかく読ませることが重要だと見られている。
酒井 この本を読んだ、あの本を読んだ、コピー&ペーストで感想文を書いた、では意味がない。読んで、思考して、自分の言葉で書く。それを先生が直す。それもせず、単に多読させるのなら、何度も同じ本を読ませる方がよほどいい。読むたびに理解が深まり、どこでどう深まったのかをリポートさせるのだ。自分の言葉に再構築することが重要だ。
――脱線するが、私の授業では新聞の社説の書き写しを自宅学習として課している。学期の終わりには、学生の多くが論理的な文章を書けるようになっている。
酒井 書き写すだけでも違う。読んで入力し、自分の手を使って出力しているだけで違う。写経もそうだ。時間をかけ、自分の中に染み込むまで書き写すだけで、単なる入力とは全く異なってくる。そらんじることができるようになり、再解釈もできる。
リーディングとライティングの時間が別にあることはそもそもナンセンスだ。読ませたら、その場で書き写す。その中で自分のものになっていく。読んでおしまい、では書く力はつかない。

「書く力」≠「打つ力」

――自分の手で書く力と、打つ力は同じか。文字で誰かに伝えるという最終形は同じだが。
酒井 全く違う。記者が会見中にパソコンを打ってメモをするようになったら、質問をしなくなったと聞いている。受け身になっているからだ。ノートにキーワードを抜き出してメモをすることで、考えている。そこが大事だ。内容が染み込んでいるから。自分のメモを後で見返せば、自分の言葉で再構成できる。
タイピングは、素早く打てる分、全部写そうとしてしまう。すでに米国の研究グループが指摘している。タイピングさせた人と手書きの人では学習成果に差が出る、と。ファクトに関する知識は変わらないが、理解度は手書きの方が上だった。書くときにキーワードを抜きとって自分でまとめる過程で考えているから、抜き打ちでテストをしても咀嚼できていることがわかった。だが、タイピングではスルーしているだけだから、何度通しても身にならない。聞いてすぐしゃべるというシャドーイングという方法があるが、入力から出力に向けて抜けているだけ。タイピングはそれに近い。自分のペースで咀嚼しながらタイピングするのなら別だが。通り抜けるだけで考えないから、質問も出ない。
――手で書く機会が減ったからだろうか。薄くて小さくて乱暴な文字が目につく。
酒井 人に読ませよう、伝えようと思っていないのだろう。こんなもんでいいやで書いているから、答案なんてひどいものだ。それでも僕はリポートを手書きにさせている。自分の字はこんなので伝わるのだろうかと時間をかけて思う。コピペをするにしても時間がかかるから、その間、良心の呵責に耐えられるのかい、と言っている。
タイプライターができた時点で、書く力が衰えた。丁寧に字を書いて人に伝えるという力を失った。文明の力によって人間がバカになった典型例だ。
――全小学校で「一人一台」のパソコン配備が決まった。すでにタブレットを持たせている小中学校も多い。タブレットに電子ペンで字を書くこともできるが、紙と鉛筆と同じ学習効果を期待できるだろうか。

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酒井 全く期待できない。筆記用具選びは大切だ。思考させたいのなら、その道具には万年筆を勧めたい。ちなみに僕はペリカンを愛用している。万年筆にはタッチとストロークがあるから。そこにはたくさんの情報が入っている。毛筆と似ている。タブレットに電子ペンで入力すると、あとで数字かカタカナかもわからないことがある。どこから書き始めたか、入りやはらいもわからない。筆や万年筆で書いた文字はどこから書き始めたか、一目でわかる。
ボールペンは均一の線になっているため、どこから書き始めたかがわからない。シャーペンは細くて折れやすいから、思考が中断される。中断させたくなければ、万年筆か鉛筆だ。紙に適度な筆圧も理解できる。電子ペンでもできないわけでないが、万年筆や鉛筆には及ばない。
筆記用具でいえば、僕の講義を最前列で聞いているのに、机の上に何も載っていない学生が少なくない。本当に嘆かわしい。ノートを取っていないのだ。

マルチタスクで鍛える「書く力」

――学生がノートを取らない? 他の大学ではよく耳にするが……。
酒井 教室内を回ってみたら、複数いた。「メモを取りなさい」と言えば、ノートと筆記用具を出す。なぜこういうことになっているかというと、小学校でマルチタスクをさせていないからだ。小学校の先生たちに確認してわかった。同時にいろんなことをさせていない。先生たちが子どもたちに課すのはシングルタスクなのだ。「今は先生の話を聞く時間です。鉛筆を置いて」と指示し、「次はメモをとって」という流れで、メモを取らせる。話を聞きながらメモをさせるというマルチタスクをさせていない。だから大学生になっても、講義を聞きながらメモを取ることができない。学生たちはまじめに僕の話を聞いているが、何も残らない。メモを取るということ、メモを取る効用から教えないといけない。この問題は、ほかの大学でも起きている。
――「書く力」の問題は、高校段階よりも前に起きているわけか。
酒井 自分が何を書きたいのかもわかっていないのではないか。思考や意図が希薄だ。卒業論文と修士論文をずいぶん見ているが、同じことを5回ぐらい書いていても全く気づいていない学生もいる。繰り返しが多いから直してと何度指摘しても、気づかない。自分で発見できない。もはや大学では如何ともしがたい状態だ。小学校の問題なのか、家庭教育の問題なのか。ゆとり教育の問題なのか。この状態の責任は誰がどう取るのか、何も検証していない。そのツケが大学に、社会にきている。そういう中で無意味なやりとりだけを重ねて、みんな「いいね」を押すだけの社会に成り下がっている。
――承認欲求とでもいうのか。本人は幸せだろう。「いいね」を押してもらって。
酒井 それはそうだろう。自分のフェイスブックに寄せられた「いいね」が見えなくなったことにショックを受けている人もいるそうだ。イージーゴーイングの方向に加速している。機械化で人間の質がどんどん落ちているようだ。
だからこそ、書く力が必要だ。その育成に向け、やることはたくさんある。まずは先ほど言ったマルチタスク、同時に複数の作業をすることだ。それではパフォーマンスが下がるという説もある。効率だけで評価すれば、そうだろう。大事なのは、聞きながらノートを取るとか、書きながら考えるとかいうことの意味だ。板書をする先生に対して、学生は「ノートに取っていたら考える暇がないので、板書の内容をネットにアップしてほしい」と言っているようだ。そうではない。書きながら、必死に頭を働かせるのだ。書き写して、後で見返すことで内容が身につく。そもそもネットにアップしたら、学生は見ないだろう。

書く力は演奏する力と同じ

――マルチタスクの根底にあるのは、思考だろうか。
酒井 もちろんそうだ。同時に複数の思考ができて初めて合理的な行動ができる。ミスをしない。家事や車の運転などは典型例ではないか。たとえば、料理の場面。火をかけて煮物をしながら、こちらで包丁を使い、刻んで、炒める――あれは見事なマルチタスクだ。頭の中で塩梅がわかっているから、全部を同時に進めていくことができる。一つ一つすませて行ったら時間がかかってしようがない。ミスも増える。
子どもの頃からマルチタスクを重ねていくことだ。写経にしても、最初は意味がわからないにしても、何度も書くうちに段々と深まっていく。毛嫌いせずに積み重ねていくという経験にもなる。
――書く力と問う力はどう関係があるのか。
酒井 一体だろう。入力から出力までの行ったり来たりが、咀嚼を促す。
――研究室に音楽が流れている。ご自分でも楽器を演奏するのか。
酒井 ずっとバイオリンをやっているが、一昨年、ビオラに目覚めた。自分にとっての冒険で、非常に楽しい。表現が豊かになる。さまざまな入力があり、さまざまな出力がある。「書く力」とは「演奏する力」と同じだね。
だが、こちらでも嘆かわしいことが起きている。YouTubeだ。玉石混交状態で、いったい何がいい演奏なのか、人の心を打つ演奏なのかわからないままに、みんな真似をしている。

 

 

<注>

1 ノーム・チョムスキー 1928〜 マサチューセッツ工科大学名誉教授。言語哲学、認知科学にとどまらず、戦争、政治、マスメディアなどに関する100冊以上の著作を発表。発言の影響力が大きく、論文の引用回数は、マルクス、レーニン、シェークスピア、アリストテレス、聖書、プラトン、フロイトに次いで八番目(1980〜1992年)。

 

ひとこと

「日々、記述式への対策を重ねてきたのに」――。大学入学共通テストの見直しに対し、新聞やテレビで高校生たちが一斉に非難の声をあげていた。いわく、中学入学時から続けてきた文章を書くトレーニングが無駄になった、振り回される受験生の身になってほしい。そんな声に同情しつつも、つい苦笑を禁じ得なかった。文章を書いてきたおかげで、あなたは実に理路整然と批判できるようになっていますよ、と。

書く力は演奏する力と同じという酒井氏の言葉に胸が躍る。豊かな思考に根付いた、すてきな音、表現の世界。(奈)

画像まつもと・みな
ジャーナリスト、一般社団法人Qラボ代表理事。上智大学特任教授、帝京大学客員教授、実践女子大学学長特別顧問。元読売新聞記者。著書に『異見交論崖っぷちの大学を語る』(事業構想大学院大学出版部)、『特別の教科 道徳Q&A』(共著、ミネルヴァ書房)など。

この記事は「文部科学 教育通信 No.477 2020年2月10日号」に掲載しております。

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