連載

授業ノートから 第5回

「論文? 書いたことない」

上智大学特任教授
帝京大学客員教授
松本 美奈

 

クラスQを履修して二年半になる女子学生が最近、第一志望の出版社の採用内定を得た。毎朝五時に起き、授業の課題、読売新聞の社説の書き写し(視写)に取り組んでいると、面接担当者にとうとうと披露したらしい。採用現場では、体育会やアルバイト先での活躍を語る学生が評価されがちと聞くから、もし地道な努力を認めてくれたのだとすれば、なんとうれしいこと。しかも彼女の場合、正規の履修生ではなく、単位と無関係に参加している頑張り屋なので、なおうれしい。

同時に、企業側はたぶん「書く力」も期待しての採用だろうなと受け止め、背筋の伸びる思いをした。「書く力」をつける難しさを痛感したばかりだからだ。

今年前期のクラスQでは、学生に「論文」の作成を課した。コピー&ペーストができないよう、もちろん手書きだ。テーマは「企業のPR(パブリック・リレーションズ)」。企業が社会と信頼関係を結ぶとはどういうことか、先行研究や調査を踏まえて課題を設定し、どうしたら解決できるかを一二〇〇字以内で論じる。

学生たちはまず、チームで取材先の企業を選び、企画書を出すことから始める。企画書には主な質問項目も書き出すよう伝えているので、この段階で事前調査は済んでいる、つまり論点ぐらい挙がっているはずだ。コロナ禍で大学の図書館を自由に使えないといった問題はあるものの、企業のホームページなどを参考に、ある程度の分析はできるだろうと踏んでいた。

ところが結果として、学生が挙げた諸課題は「感想」だった。いわく「取材して○○だと思った」。次いで目につくのが、取材の苦労談。チームの仲間への不満を書き連ねる学生もいた。

今期の最終課題を論文と伝えたときの学生の反応は、例外なく「論文なんて書いたことがない」だった。四年生でもそう吐露していたから、感想文の束を手にしても驚かなかった。内容上の問題だけではない。一段落が原稿用紙二枚にも及ぶ、一つの文章が百文字を軽く超えているために主語と述語がよじれる、誤字脱字が多い……。書く経験の乏しさを露わにする文章が並ぶのも、想定内ではあった。それでも、自然とため息がもれた。

授業に参加する学生の名誉のために断言するが、論文を書けないことはちっとも珍しいことではない。新聞記者として全国の大学を取材した過程で見聞きした光景が、目の前にも広がっているに過ぎない。それは大学の設置形態はもちろん、「偏差値」とも関わりがない。今の学生たちは一般的に書けないのだ。

東京大学が二〇一〇年、「信頼される論文を書くために」と題した声明を発表している。「レポートはすでにある文献(研究)の内容を要約し、自分の意見や感想を追記することでも成り立ちます。論文は、すでにある文献(研究)よりも新しく、しかも妥当な説明や解釈や、新しい事実の発見を、明晰に論じた言説です」(抜粋)。当時、発生した博士論文を巡る不正事件を受けての措置ではあったが、論文とは何かを、学生や院生、ひょっとしたら先生方にも知らせる必要を感じたのだろう。東大でさえ論文とレポートの違いを改めて整理し、周知しておかなければならない事態が、すでに出来していたのだ。

それから一〇年。ある学会では、先行研究を読まずに論文を書く研究者があまりに多いために、「論文の書き方講座」を開こうかと企画していると耳にした。現状を放置したら、次世代はもっとひどい状況になると心配してのことだろう。敬服する。ぜひ実現してほしい。

ことは、単に「論文を書けない」ではおさまらない。文章を書けない層の圧倒的な広がりは、大学だけでなく企業も同様。企業関係者から「社員が文章を書けない」という相談を頻繁に受ける。報告書、企画書はむろん、メモですらちゃんと書けない――。つまり、生業に響くのだ。

画像

近代日本はいち早く「書く」ことの大切さをわかっていた。一八七二年、近代的学校制度を定めた「学制」では、小学校での学びに習字、書き取りのほか、「作文」も教科と位置付けた。その後、教科名は「綴方」(一九〇〇年〜敗戦時)、再び「作文」(戦後から)と変遷しても、子どものうちから書く力をつける重要性、必要性は変わらず認識し、制度として明記していた。

書く力をつけようと特別の努力をする先生もいた。戦前、社会的に注目された「綴方教室」の大木顕一郎先生は、書き手自身の推敲と先生の添削指導の大切さを強調し、自ら実践していた。「児童相互の読み合い、聞き合って、加除修正」という推敲のプロセスを経て先生に提出できるというルールを学級で徹底させていたのだ。そうして出された文章をもとに先生は子どもと対話を重ね、記憶をよみがえらせ、印象を引き出し、思考させ、また書かせていた(『新編 綴方教室』岩波文庫より)。

ちょっと脱線するが、大木先生は「読む」と「書く」の関係についても有用な指摘をしている。「読む立場で読ませずに、書く立場になって読ませなくてはならぬ」と。ただ読むだけでは未消化のままの鵜呑みで、批評はできても自分では書けない子どもになると警鐘を鳴らしている。現在も小中学校の多くが児童生徒の読書冊数を伸ばす努力はしているから、傾聴に値するだろう。書かせる、書かせたら推敲させて、先生が添削する。これが肝というわけだ。

熱心な取り組みがあった一方で、教科としての「綴方」は実は軽視されていたようだ。行事や他教科に置き換えられることもあり、「成績の上がらないのも無理のないこと」と大木先生も嘆いている。戦時体制の進行で「煩雑な事務」が増え、時間の確保も難しくなっていたようだ。「通牒々々、報告々々……(略)防護団の事務、選挙粛清に関する何々」で、「自分たちは教師なのか、それとも事務員なのか」と、かつての先生たちも嘆声を発していた。

今の学校に通じる記述に、思わず首肯してしまう。書けない学生や大人の誕生もむべなるかな。運のいい子どもはどこかで熱意あふれる先生の薫陶を受けられるかもしれないが、高校まで通してそうした環境に恵まれる子は稀だ。まして、作文や感想文以外の、例えばレポートを書き、友だち同士で読み合い、先生に添削してもらえるといった幸運は滅多にないだろう。

 

桃食ふやきらきらきらと休暇果つ 森澄雄

 

文字と親しむ点において、当世の学生は歴史的に見ても群を抜いているのではなかろうか。手元にはいつもスマートフォンがあり、しょっちゅう誰かと文字のやりとりをしている。たとえ略語や絵文字であっても、いつも読み、書いている。文字中毒と言ってもいいぐらいだ。そして大半が、無邪気に「誰かが見てくれて、承認してくれるのが当たり前」と思っている。これを、「見てくれないかもしれない。理解できないかもしれない」と気づかせ、さらには「理解してもらえるには、どうしたらいいか」とスイッチを切り替えさせる。何か良案はないだろうか。

ここまで考えて、はたと膝を打った。エントリーシートだ。就職活動やインターンシップには欠かせない。書く力が自分の人生を左右するってことを知ってもらおうじゃないの。

で、後期のシラバスには「エントリーシートの添削・模擬面接」を盛り込むことにした。社説の視写やコンセプトマップに一か月取り組んだ学生の「特典」として。企業の現役の人事担当者も巻き込んでいく。
さあ、新学期が始まる。

 

この記事は「文部科学 教育通信 No.492 2020年9月28日号」に掲載しております。

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